裏フーゾクと呼ばれ、ひっそりと営業を続けてきた大阪の旧遊郭、飛田新地が、ここ10年近く前から脚光を浴びている。脚光とは少しオーバーかもしれないが、明らかにメディアへの露出がふえている。
2011年には『さいごの色町 飛田』、続いて『飛田で生きる』(2012)その続編『飛田の子』(2013)が刊行され興味深く読んだ。
2016年には、同じ著者の新刊「爆買い」中国人との攻防をえがいた『飛田をめざす者』が出て、最近の飛田事情を伝えている。
週刊文春2011. 7.28号には伝説の花街『飛田新地探訪』、『男の隠れ家』「日本の裏町 知られることの少ない色街、古都、路地裏・横町を歩く」11月号(2012年9月27日発売)では、「飛田百番 今も残る、絢爛たる大正遊郭の遺産」「飛田(大阪)失われた遊郭の風情を唯一奇跡的に残す街」として巻頭で紹介された。
オレが十年以上前に趣味で作った『飛田新地入門』という、たいして情報量もない制作途中のしょぼいケータイサイトでも、その当時はいつも上位表示されていた。(趣味とはいえ、SEOやキーワードの勉強も兼ねていたので、検索順位はたまにGoogleでチェックしていた。)下記参照
それだけ当時は、飛田に関する情報が少なかったのだ。
『飛田新地』で検索すると、関西のディープな新地案内や関西出張で訪れたサラリーマンやOLの覗き見的なブログが早朝や深夜に撮られた写真付きでアップされていた。
飛田の歴史や旧遊郭の建物を改造した料亭『鯛よし百番』の探訪ルポもあったが、新地の内部まで踏み込んだものはあまり見あたらなかったように思う。
唯一、『飛田新地』『松島新地』掲示板が、実際登楼した人の個人的な体験談がリアルタイムで読めた。今調べてみると当時のサイトはなくて「爆サイ.com関西版」というのができていた。
YouTubeの影響も大きい。
撮影はご法度の飛田新地だが、車からの隠し撮り動画がたくさんアップされ人気を呼んでいる。今まで一部の雑誌や書籍でしか知ることの出来なかった禁断の色街が、現地に行かなくても見れるのだ。
2010/01/08 にアップロードされたラッパーSHINGO☆西成の飛田新地は、2019年9月現在180万回以上再生されている。
さてオレが飛田を知ったのは、いつだったろう。
学生時代、クラブの先輩が飛田で童貞を捨てたって話をしていたので、名前だけは知っていた。
どんなところかを解り始めたのは黒岩重吾の小説、『西成山王ホテル』や『飛田ホテル』を読んでからだったとおもう。
阿倍野方面から飛田への入口「新開筋商店街」
昔は寂れて暗い印象だったが、今はすっかり明るく綺麗になっている。